言葉を離れる
『言葉のない世界』はどんな風に見えるかなって思った時、もう既に『言葉の存在する世界』にいる自分には後戻りできないので『その世界』を見れないことに悔しく思ったけど、それ以上に魅力的だなと思った。
言葉があるのが当たり前の世界で生きてきたけど、言葉があると、ソレが明確にわかりすぎて困る時がある。
もっとピントがぼやけた空間もあっていいと思うんだけど、それが例えば『 “言葉では言い表せないくらい” 綺麗な景色』とか、そういうのかなと思う。
その、“言葉では言い表せない” モノは、本当に言葉で言い表せないのか、又は言葉で言い表せないという言葉が 似合う モノなのか。
大学の講義で、”文化人類学” というのをとってるんだけど、その講義が最近ついていけない域に入ってきたの。
多分、あたしのキャパじゃあまだ理解できない話なの。そんな話だからうまく説明もできないんだけど、、
『ヒトは、自分の人生をつくりあげたイメージのなかで生きている。正確にはつくりあげられたイメージのなかで。
“男”という言葉は、”女”が存在しなければ生まれなかった言葉であるように、言葉の存在は様々な物事人を、区別してしまう。
自然状態における空間・時間は、区切れのない連続体。人間はその連続体に名前をつけることによって、意味のある対象に区切り(成人式や結婚式や葬式や。)、それを寄せ集めたり関係づけたりして、世界を秩序づけている。
誕生や死が不浄や危険と結びつけられるのは、人間の一生に人為的な境界を設けるから。』
これでもしぬほど分かりやすい言葉を選んでまとめてみたけど、難しいよね笑
まぁこんな感じで、理解不能な域に入ってきたところなんだけどさ。
実は異文化理解や宗教学、ゼミで学んでいる事とリンクしてたの。自分の中でそれが繋がっていく瞬間、すごく盛り上がるんだよね。具体的にはG8くらい逝ってるんだよね。
それで最近、気になる本がある。
横尾忠則さんの『言葉を離れる』
横尾さんは美術家として知っていて尊敬してるんだけど、小説とかも書くらしい。文学も素晴らしそうなのでこの本を読んでみたいなと思ってる。
全然内容知らないけど、雰囲気と題からして今のあたしにピッタリな気がする。笑