分断の時代にはもうつかれた!
前回ちょっと重!暗!すぎたからポップっぴーなテンションで書こう!(*⁰▿⁰*)
とはいってもタイトル通り、あたしはこの世界で起きるあらゆる分断の現実に疲れてしまった!😲フゥ
全員がちがうのに、この世界は二項対立ばかり。イエスかノー、白か黒、男か女、保守か革新、移民か国民、ラップかロック???
なにかと分けたがり、それらを引き金に争いを起こす。
ただ、この世のあらゆるものに光と陰、表と裏がある。人は何らかの既成概念を強調したいがために、とにかく一面しか見ない傾向がちょっとあるよね。
物事の一面しか見ないっていうのは現代社会の特徴でもあると思う。誰もが即効性のあるサウンドバイトだったり、物事に対しての手短な説明しか求めていない。
「5分でわかる!第二次世界大戦!」とか。5分で何十年分もの歴史背景と何十カ国分もの事情をどうやって知るのか教えてほしい。
この世の中で白黒はっきりつけられるものって本当にあるの?っていう。ないよね?
どんなものもグレー(透明)だと思う。
いいものも悪いものもなくて、すべてがただ存在しているだけ。
強い言葉や明確な主張はとてもわかりやすく、そのために二項対立が生まれるやすくなっている気もする。
あたしは抽象的な言葉や意見をよく言うため、例えば英語で話すとき必然的にそれは難しくなる。
「んーそれもいいしこれもいい」「一つに選べない」そういう気持ちを丁寧に説明させてくれるのが日本語な気がする。中途半端でもどっちつかずでも全然良いじゃん、って。
なつかしーバイロンベイで農業してたちょうど去年の今頃、牛さんのうんち拾いに来てた場所
話は変わるけど、「お姉さん」「おばさん」、「痩せてる」「太ってる」そういった分け方から人を見るのも不思議な感覚だなと思うんだよね。
人を、性別や年齢や出身でタイプキャストしてそこからその人の本質は見えるのかな?っていう。特に人のつくる文章やアートを、そういった先入観からみるよりもまずそれをみて、その後、背景に興味を持つっていうのがわたしにとっては自然なことなのかもしれない。
わたしの育ってきた環境や社会的な属性をインプットするよりも、わたしのつくったアートをみたら十分に”わたし”という特性を感じられると思う。それこそ年齢や性別といった線引きや分類に頼らずともね。
実際、隣に住む同じ学校の同級生よりも、地球の裏側にいる歳の離れた人との方が共感できたりする。
わたしのソウルメイトの1人はインターネット上で出会った。リアルで会う前から親友だと確信してたし、精神のドッペルゲンガーみたいな人だった。恋人もそう。年齢も性別も生まれた場所もみんなバラバラ。体の大きさや顔の形も知らない。(もちろん、バラバラがいいってことじゃないよ。同じでも変わらない。
彼らはまず自分とすごく似ていて、興味関心、世界観、人生観、哲学、価値観とかね。大切な人と出会った場所が尽くインターネットだったのは、この世界に国境がないことを自分に証明した出来事だった。
でも!ネットに対する過激なロマンがあるわけではないよ。やっぱり愛する人たちとは触れ合いたいし、会いたいよね。それがわたしにとって最高なのは変わりない。
それと最後に、誰しも悪気があって差別用語を使うわけではないじゃない。知ることは大事だけど、知らない人に対する差別もわきまえるべきと最近思う。まるで言葉遊びのよう。年齢や出身で人を判断せずに、敏感になりすぎず、コミュニケーションを楽しみたいなぁo( ´〃ω〃` )o
分断の時代は疲れちゃうからみんなで違いを受け入れあって、先入観に囚われず、人間を観察する👁を養おうと!
くっつきすぎてアツいよーって時代になるといい(*'-'*)